住職あいさつ
この度は、中心光寺のホームページをご覧いただきまして、ありがとうございます。
僭越ながら、ごあいさつ申し上げます。
中心光寺と寺号をいただきましたのは、宗祖弘法大師様の求道のお心を慕い、密教理念の両部曼荼羅の訓えを現代の言葉に置き換えますならば、「中心」という言葉に当たるのではないでしょうか。
独り独りが中心(主体)となり、互いに特色を出し合い生かし合う。社会全体との調和と個の独創性を発揮して現実社会を生き抜く。この考えが平和な社会を生み出す基礎ではないでしょうか。
両部曼荼羅の訓えをもって自らを輝き、他をも照らす。その就学と体得の道場として、中心光寺を開山いたしました。
■ 大自然の中で思う、現代社会
今日の不安・社会現象はいままでの方法では解決できない。
思わない出来事が起こった。
このとまどいであろう。
しかし、常住不変は無い。
常に変わり続けている。
この世界に我々は生きている。
まわっている地球の上に、暮らしているのだから。
くるくるまわっている上に生きている。
生きていくとは自分以外のいろんな「生きもの」と関わっている。
人と人、人と植物、動物。
植物と動物。
目に見えるものと見えないもの等々。
人間の頭で知りえないほどの関わりである。
私も病気になって知り得た。
二ヶ月ばかりの治療生活の中で得たもの。痛みを介して掴んだ。
それは「善意」。善意に包まれて「生かされている」。
自分を支えているものは、黙々とその任を務めている。
役目。
働き。
を仕事として果たしている。
人を動かしている「あらゆるいのち」それは善意で動いている。
大きな善意に出会った。
不安、苦しみ、を包んでいる暖かさに触れ得た。
心の目が開く。
開くとわかって来る。
見えてくる。
硬さが柔らぐ。
柔らぐと動く。
心が動くと言葉、行動が変わって来る。
不安は自己防衛過剰を生む。
主張ばかりがぶつかり合う。
矛先が外へ向う。
向けた刃が傷を生む。
傷は心を閉じる。
互いに閉じた合った心が手さぐりとなる。
疑心暗鬼となる。
縄がヘビと感じる。
本当のことを「知らない」知らないことが苦しみの世界へ向かわせる。
安心、平安は「知る」ところから。
自分を知るところから始めよう。
自分の心を知ろう。
知る手始めは「使われる」ことから。
利用されよう。
利用されることは「バカ」にされているのではない。
存在をみとめられているのである。
「尊い」から使われるのである。
使われることに好感を持とう。センスを磨こう。
「御人好し」になろう。
自分を生かしているものは全て「御人好し」だから。
「御人好し」に包まれている世界に住んでいるのだから。
少しは元気が出ましたか。
知れば知るほど「バカな自分が見えて来る」
バカを包んでいる善意の世界。